隙間時間をSNSで埋めてしまう

日記
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気がついたらSNSを徘徊していることが多い。

行き帰りの電車の中で、SNS。朝起きたらすぐにSNS。ご飯食べながら、お風呂入りながらSNS。寝る前にもSNS。主にTwitterやInstagramを徘徊している。これは大学生頃からの癖だ。最初は友達作りのために始めたSNSだが、現在リアルな友人でSNSを高頻度で更新している人は少ない。私自身も更新する方ではないので、友人との繋がりの意味はあまりなしていない。

では今何を見ているかというと、昔なんとなくフォローした知り合いでもない人たちの呟きだ。

Twitterに関してはアカウントを複数持っている。この記事で書いたように私は昔性に奔放なタイプだった。

https://manmarunikki.com/セフレと久々に会った/

その奔放な時期に作ったアカウントがある。(裏垢と言うのでしょうか。)そのアカウントを活発に動かしていた時期は、他のアカウントとの交流も若干あった。現在はほとんど更新も交流もしていない。ただ、アカウントだけは残っているので、その時にフォローした人たちの呟きをなんとなく今も眺めている。

なんとなく眺めているだけなので、その眺めている時間について何か考えたことはなかったのだが、せっかくなのでその時間で何が得られているのか考えてみる。

5つ程挙がった。

①その時話題の事件や出来事。テレビ等のメディアより、Twitterで知ることが多い。さらに、いろんな人の反応が生で見られるので面白い。

②Twitterにいる人たちの価値観。男性は奢るべき、地方へ移住した方が幸福度が高い、ふるさと納税すべき、などなど。いろんな価値観を見て、いろんな考え方を知ることがある。ただ、あくまでもTwitterをしている一部の人たちの価値観であると認識しておきたい。

③話題のスポットや流行のもの、食べ物など。感化されて実際に赴くということもある。

④なんでもない他人の生活の一部を覗くこともできる。デートをした、好きな男について上京する、仕事で嫌なことがあった、あれを食べたこれを食べたなど。暇な時はそういった情報も読み物として楽しむことができる。

⑤可愛い動物たち。可愛い猫や犬の動画、画像は永遠に見ることができる。可愛い。癒される。

こんな感じだろうか。こういうものって、Twitterがない時何から得ていたのだろう。Twitterがない時、、高校生とか浪人してた時を思い返してみる。

友人との会話だろうか。高校生や浪人生の時は、常に周りに友人がいた。友人と共に生活していた。電車に乗っている時間は、友人とおしゃべりするか、勉強するかしていた。家にいる時間はテレビを見たり本を読んだりしていた気がする。ただ、よく思い返すと「前略プロフィール」なるものが流行っていて、それを覗きに行ったりもしていた。

そう考えると今とあまり変わらないのか・・・

ただやはり、学生時代に比べて友人など人と過ごす時間は減った。会社にいるか、一人暮らしの家にいるかがメインだ。そうなると、SNSが手っ取り早く社会を感じられるツールなのかもしれない。そのため必然的にSNSを眺める時間も増えるのだろう。

空き時間を自動的にSNSへ充てていると、空白の時間がなくなる。空白の時間がなくなると考え事、「あれがしたい」「これをしたい」「こうするともっと良い」「これが嬉しい」「これが悲しい」などと考える時間が特に減る気がする。(私の場合は。)

だから、空白の時間が自動的にSNSに充てられることを防ぎたい。どこかの知らない人の呟きを読んで時間を使うのが勿体無いと思えてしまう。もっと目の前に起こることや、私に直接関わってくれる人に対して時間を使いたい。

ただこれを実行に移すのが難しい・・・

みんなどうしているのだろう。ちょっとずつ意識するしかないだろうか。ちょっとやってみよう。

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